アタマを空っぽにして休む
今週は私がリラックスできるようになった経緯についてお話しようと思います。
みなさんは心の底からリラックスできる場所はあるでしょうか。
学校や企業などでさまざまなストレスにあい、苦しんでおられる方も
いらっしゃると思います。
私自身も学校でのイジメやハードワークで心に傷を受けた人間の一人です。
しかし、一般には「実家のような安心感」という言葉もあるように、
家族と暮らすことが安心やリラックスに繋がることもあると思います。
しかし、私のように実家にも居場所がないという方もお見えになります。
ストレッサーの近くで生活を過ごすと、ネガティブな思考に囚われやすく、
なかなかこの負のループから抜け出すことは困難です。
そういった方にもグループホームは有効な選択肢だと考えています。
実際、私もグループホームに入居して3ヶ月が経過しましたが、
やっと心の底から安心、リラックスできる場所に辿り着いた。という印象です。
作業所を休む場合も、管理人さんから「調子が悪ければ休んでいいんだよ。」と
暖かいお言葉を頂いております。今まででしたら、
「休んではいけない!」と脅迫感のような無意識の圧力で通所したりしていましたが、
今は「辛いときは休んでもいいんだ!」という気持ちに変わったと感じています。
そうすると、胸のつかえがとれて、心からリラックスして休むことが出来るようになりました。
今では、「アタマを空っぽにして休む」ということができるようになりました。
ネガティブな思考に囚われていると、嫌なことを思い出したり、
どうしようもなく不安になったりして、そのことだけが脳内を支配して、
それ以外のことが考えられなくなってしまっていました。
うつ傾向にある方はなおの事、その傾向が強いと思います。
答えの出ない堂々巡りのネガティブ思考だと、体は休んでいても心は休まらないのです。
それが倦怠感や疲労感に繋がり、輪をかけて「辛い」状況になっていってしまいます。
この「アタマを空っぽにして休む」というのは言葉では簡単に言えますが、
実際は、治療やカウンセリング等による精神面の安定、
生活環境の改善、相談できる支援者の存在でやっと到達できる所にあるものだと思います。
この三つが揃うと、心も真の意味で休まり、ネガティブな思考から抜け出せ、
リラックスできるようになると考えています。
このように本当の意味でリラックスできる環境を手に入れると、
自然と心は回復し始めていくように感じられます。
なかなか負のループから抜け出せずに苦しまれている方も多くいらっしゃると思います。
そういったときは、信頼できる相談者や支援者の方に、思いの丈を打ち明けて、
現状を打破しないと絶対に変わらないと思います。
私自身、星心会の相談員さんに出会うまで、本当に地獄のような毎日でした。
信頼できる支援者さんに巡り合えるのは、確かに運も必要ですが、
なにより、周囲に自分の困り具合を正確に伝えることが大切だと思います。
なにも行動しないで、勝手に支援者さんが寄ってきてくれるわけではありません。
誰にも何にも話さずに、一人で抱え込んでいるだけでは、
周囲はどうしていいかわかりません。
まず、自分の苦しい現状を周囲にできるだけ多くの人に伝えて、
どうにかこの現状から脱出したいと訴える行動こそが、第一歩だと考えています。
周囲に正確に自分の困り具合を伝えることで、支援の輪が繋がっていって、
最終的に有力な支援者さんに巡り合えるのだと思います。
そうして有力な支援者さんと共に、できる所から改善していって、
真の意味で心安らげる場所を見つけていってほしいと考えています。
行動していった先に、やっと心の回復のスタートラインに立てるのだと思います。
これがよく言われる「一人で抱え込まないで」と言われる所以だと思います。
どうかこの言葉が一人でも多くの困難な方に届いたらいいなと思います。
食事、洗濯
今週は私の星心会のグループホーム(第一寮)での生活について
お伝えしていこうと思います。
私は2024年5月からお世話になっています。
それまでは実家暮らしでした。また人生初のグループホームとなりました。
みなさんはグループホームというとどのような想像をされるでしょうか。
ホテルのような印象を持つ方もいらっしゃるかもしれません。
グループホームにもいくつかの種類がありますが、
私たちの第一寮は比較的自立した方が入居するグループホームとなっています。
第一寮は一戸建てを借用して運用されており、
私を含め現在5名の入居者の方が利用しています。
大規模なグループホームだと入居者の数が10名ほどのところもあるようですが、
それに比べると比較的小規模かもしれません。
また、三食提供ではなく朝夕の二食の提供となっています。
これも、昼はグループホームにおらず、
B型作業所などに行く利用者さんが多いためです。
また第一寮では食事を終えたら、自分で使った食器を各自で洗い棚に戻します。
これも比較的自立した入居者ばかりだからできることです。
個人的には、自分で使ったものくらいは、自分で片付ける癖をつけることで、
より自立にむけた意識が備わるのではないか、と感じています。
また衣服の洗濯自体は管理者さんにお任せしているのですが、
洗濯物をベランダに干すのも各自です。
雨の日は近くにコインランドリーがあるので、
乾燥だけコインランドリーの乾燥機を使ったり、
各自の部屋で部屋干ししたりします。
共有スペースの掃除は管理者さんが行っています。
それ以外の自室の整理は各自に委ねられています。
このように、できることは自分でやる。という意識を持って
生活することが大切だと感じています。
そしてこれは完全に私個人の感想ですが、
食事が本当に美味しいんです。
実家にいた頃は、食事に味を感じていませんでした。
これも個人的な見解なのですが、ストレスがあるとどうしても
食事の味が落ちるというか、味がしないのです。
小さいころから実家においての食事は美味しいと感じたことは無く、
ただ残すと作った母親に対して悪いので、食べていた。という感じでした。
未熟児だったせいか親も心配して「食べなさい、食べなさい」と言われ続けた食卓でした。
今にして思えば、実家での食事自体もストレスの一部になっていたのかもしれません。
その鬱憤を晴らすが如く、実家ではお菓子を食べまくっていました。
これらのことは全部無意識のことで、
寮に入ってから気づいたことです。
しかし、この第一寮に来てからは、ストレスから解放されたらしく、
何を食べても美味しいと感じるようになりました。
そして、普段の食事に満足するようになったからか、
お菓子もほとんど食べなくなりました。
「食事が苦痛じゃない」ということに毎日感動しています。
そして、毎度おいしいと感じながら食事を摂ることで、
身体にきちんと吸収されて栄養になり、元気に過ごせるようになりました。
私は第一寮にきて、ストレスのないご飯ってこんなに美味しいんだと感動しています。
そして、提供される食事もバランスや健康を考えたメニューとなっており、
美味しく頂いて、健康にもなれるという、とても配慮されたメニューです。
今では不眠も解消されて、安定して食事と睡眠をとることができるようになりました。
やっぱり、食事も睡眠も生きていくためには、とても大切ですからね。
第一寮にきて、本当に健康に元気になったと思います。
発達障害ライフハック
今週は私の障害についてお伝えしていこうと思います。
まず、私の障害についてです。
現在、私は発達障害の中のADHDとASDとして診断されています。
昔からみんなと同じことができないことで悩み、苦しんできました。
特に苦手だったのが、物事をうまく要約して話すことです。
今ではADHDという障害の認知が世間に広がっていて、
この問題は結構有名な話なのですが、
私が小さい頃は、まだ今ほど世間の認知は広がっておらず、
小学、中学校時代は問題児扱いをされていました。
誰と話をしても、話が通じない、何を言っているのか分からない。
と評価され、不思議ちゃん扱いをされてきました。
この問題がなぜ起こるのかというと、
話す内容の整理が、自分でも出来ていないからです。
誰かに何かを伝えるとき、まず大切なことから話しておき、
あとで不足部分の補足をしたりしますよね。
ADHDの場合は物事全てに対して、優先順位をつけることが苦手であり
会話の内容も、大切な内容と枝葉末節の内容もごちゃまぜに
話してしまい結果として、相手に何を伝えても理解されない
という結果になってしまいます。
私自身もこういったコミュニケーションの基礎的な部分に問題があり、
大学時代でも、「で、結局は何が言いたいのか?」とダメ出しされることが
頻繁に起きていました。
会社に入ってからも、報連相は大切ですよね?
私はそれが全くと言っていいほど、できなかったのです。
何を伝えたいのか、何に困っているのか。どうしてほしいのか。
上司や先輩社員にうまく伝える事ができず、怒られてばかりの毎日でした。
次第に誰に何を話しても怒られるので、会社でも話せる社員が減っていきました。
報連相ができないことと、不注意による初歩的なミスの連発
この二つの原因で、社内でも問題社員扱いされるようになりました。
この失敗の連続は私個人の努力では、簡単に解決できず、
最終的に抑うつ症状と不安障害になり会社を辞めざるをえなくなりました。
退職の際にかかった精神科医で発達検査をした結果、
上述のADHDとASDと診断されたのです。
それ以来ADHD的症状の緩和のために、服薬による治療を継続しており、
現在は、私に合うお薬と出会うことができ、少しずつ症状が改善してきています。
また症状を問題に変えないための工夫も継続しています。
伝えたいことが伝わらないという問題についてです、
これは自分でも伝える内容を要約できていないため発生する問題です。
なので、気付いたことはまず、メモするように癖をつけて、
いつでもメモができるように、大きめのノートとペンを常に携帯するようにして、
伝える前の前準備として、ノートに話すことを落とし込み、
自分なりに優先順位をつけてから、話すようにしています。
医師との診察のときもそうです。
限られた時間内に伝えるべきことを伝えないといけないので
事前に話す内容をノートに記して、診察に臨むことで、伝え忘れが減りました。
そして聞いたそばから忘れるという、短期記憶が乏しい問題についても、
ノートとペンで解決しています。
自分は忘れやすいということを前提に、常にメモを取ります。
そして、取ったメモも失くしやすいという前提で、小さいメモ用紙ではなく、
大きめのノートに何でもメモしていくのです。
焦っていても、このノートのどこかに書いてあるという安心感で
目的のメモを探し出すことができるようになりました。
これ以外にもADHD特有の不注意による初歩的なミスを多発していました。
これが忘れ物です。
講義や会議に必要な書類を忘れたり、書類を失くしたりするミスがありました。
この対策は、巨大なクリアファイルに大切そうな資料をすべて入れ込むことです。
小さなクリアファイルに分別して保管することは理想ですが、
それだと、間違えて入れたり、そもそも入れなかったり、失くしたりすることが
多かったため、最終的に巨大なクリアファイルに詰め込むことで、
重要書類の紛失対策を行うことができました。
発達障害は他の障害と比べて、周囲の理解を得ることが難しいことが多いのが現状です。
個人の努力不足と捉えられたり、ともすると怠けや甘えと評価されることもあります。
そして周囲はもちろん、自分自身でも発達障害の認識が薄いと
医療機関への受診が遅れ、結果として発覚が遅れることもあります。
私自身、小学生時代の時点で、発達検査の結果、
発達障害の可能性があるとされていましたが、
両親はそれを否定し、治療を受けさせず、障害者として認めることもしてきませんでした。
結果としては、発達障害が原因で学校や職場にて問題行動が顕著になり、
抑うつ症状に悩んだ末に、精神科医を受診して発覚したのです。
こういった経験から、発達障害の当事者の一人として、
周囲や自分自身で違和感に気付いたら、
できるだけ早く医療機関に相談して欲しいと思っています。
ブランコをつくった
今週は会長さんと共に
スイングベンチを組み立てました。
ゆらゆら揺れる、ブランコです。
寮の敷地が公道みたいに使われているので
むしろ道行く子供たちに楽しんでもらおうと
会長の発案です。

私は元々ものづくりが好きで、
組み立てにも喜んで参加しました。
B型作業所ではパソコンを使った作業がメインですが、
たまにはこうやって手を動かして、
実際にモノを作るのも、やっぱり楽しかったです。
取説には30分で組み立て可能とありましたが、
二人で順序良く組み立てて1時間かかりましたが、
できばえに満足しています。
こういった何気ない作業も
共同で誰かと行うと、達成感が別格になる気がします。

会長とはそれ以前にも、
アジサイの苗を駐車場脇に植えたりしており、
協力して何かをやる!ということが、
なにか、メンタルにも良い影響を与えていると
感じています。
以前のブログにも書きましたが、
失立失歩の状態になってから、
野外で何かをする機会を失っていて、
その影響か、クワを握って地面を耕す。
という基本的な行為がとても新鮮に感じました。
6月になり、雨も降ることもあって、
アジサイも順調に生育しているのをみて、
不思議と笑顔になります。
体を実際に動かす。って
いろんな意味でやっぱり良いことなんだな。
と感じながら日々を過ごしています。
失立失歩からの回復
まずはブログ第一回目として入居者Kの朝活をご紹介させていただきます。
私の場合、起床は6時です。他の入居者の方はもう少し遅い場合もありますね。
朝食は7時半なので、時間があるため、私の場合、散歩に出かけることが多いです。
寮から最寄り駅の山城駅までが、往復15分と私にはちょうど良い散歩コースになっています。
寮に入る以前の私は、失立失歩の状態でした。
失立失歩というと聞きなれない言葉ですが、突然声がでなくなる失声と同じく、
精神的なストレスが原因で、立ち歩きが非常に困難になる状態を指します。
器質的には何の問題もないのに、立ち歩きが困難な状態で車いす生活を余儀なくされる毎日でした。
これは病名としては転換性障害と言われています。
精神的なストレスの表現形態が、立ち歩きに影響を及ぼすのです。
入寮以前は、無理して足を動かすためヒザの痛みが強く、30分と座っていることすら困難で、5分と立っていることもできず、それゆえにB型作業所を退所したこともありました。
実家の両親とは、この歩けなくなる問題について激しい口論になり、
それが強いストレスとなっていました。
今にして思えば、歩けないこと自体も私にとってのストレスにもなっていたと考えています。
一時的に歩けないだけで、病気が治れば歩けるようになる。そう医師からは言われていました。
しかし、投薬やカウンセリングによる治療を行ってもなお、
約5年間この失立失歩の状態は継続してきました。
私自身も、もう車いす生活から抜け出せないのでは?と半ば諦めていたのです。
それでも、このまま実家に居続けても治らないと考え、医師と計画支援相談員さんとの相談の上で、
一旦、実家から離れて暮らすために、入寮する決意を決めました。
それが入寮したその日から、車いすなしで行動できるようになりました。
正直、環境を変えるだけでここまで違うものなのか!
と、自分でも驚きの出来事でした。
星心会での治療の根本とされている環境調整の効果を、
身をもって実感することになりました。
たまに、自転車でコンビニに行ったりもしますね。
コンビニまでが良いサイクリングコースになっています。
私は5年近く車いすだったため、もう自転車も乗れないと諦めていたのですが、
再び乗ることが出来るようになり、坂道も問題なく押して歩けることがなによりの喜びです。
以前なら家の門から玄関まで歩くことができなかった私にとって、
再び自分の足で歩ける、坂道も止まらず歩ける。
そんな当たり前のことが、当たり前にできるようになった喜びは、とても大きいですね。
そんな私なので、ただの短い散歩ですら、感動を覚えるくらいです。
ストレスから解放されるってこういうことなんだな。と歩くたびに感慨深い気持ちになります。
(K)